京都市妙心寺の高僧である天巌清長禅師は、播磨の国の二見地方の仏教が衰微しているのを巡教の途中で知り、心を痛める。この地に臨済の教えを広め、民衆を救済しようと考える。天正元年(1573)のことである。ここで教えを広め、尊敬を一身に集めた、といわれる。
元和二年(1616)九月、天巌和尚は、徳源寺を建立。室谷勘七昌奠さんの寄進によるものである。
本尊は薬師如来で、寺宝として開山和尚である天巌の肖像画が伝わっている。